普天満宮の御由緒
当宮は別称普天満権現といい、琉球八社の一つです。
創建については、往昔、普天満の洞窟に琉球古神道神を祀ったことに始まり、尚金福王から尚泰久王(1450-60年)の頃に、熊野権現を合祀したと伝えられています。
現存する古い記録には『普天満権現』碑(1590年)があります。『琉球神道記』(1605年)『琉球国由来記』(1713年)『琉球国旧記』(1731年)にも当宮関係が記載されています。
近世沖縄における熊野三山いわゆる権現信仰は、琉球八社はもとより、その分社やビジュル・観音・霊石信仰とも習合しながら、県内広域に伝播し拝所としても数多く存在します。
当宮の縁起伝承には、首里桃原に女神が出現され、のちに普天満宮の洞窟に籠られた伝承があります。
また、洞窟より仙人が現れ「我は熊野権現なり」と示された伝承や、また、中城間切安谷屋村の百姓夫婦や美里間切東恩納村の「当ノ屋(屋号)」に黄金(神徳)を授け苦難を救ったという伝承もあります。なお「当ノ屋」ではそのお礼参りが今も続いています。
旧暦九月には普天満参詣といって、かつては中山王をはじめノロ、一般の人々が各地より参集し礼拝の誠を捧げました。
昭和20年、戦時中は当時の社掌が御神体を捧持して糸満へ避難しました。
戦後は、社掌の出身地である具志川村(現うるま市)田場に仮宮を造りて祀り、その後、普天間の境内地が米軍より解放されると、昭和24年2月、元の本殿に還座しました。
以後の経緯
- 昭和28年よりハワイの県人会をはじめ県内外からの浄財により戦後の復興(本殿・社務所)が始まった
- 昭和43年12月30日、洞穴の手前に本殿が竣工
- 昭和47年5月15日、本土復帰に伴い宗教法人格を取得すると同時に、神社本庁と被包括関係を結ぶ
- 同年、祖霊社・儀式殿・神楽殿兼参集殿の造営が竣工
- 平成16年、旧社殿は老朽化またシロアリの被害に伴い、境内地と周辺環境も考慮して総合的な御社殿造営計画
- 平成17年4月22日、本殿・拝殿・儀式殿・参集殿が竣工
- 平成19年11月19日、社務所が竣工